26歳の時、
毎日毎日両親に早く結婚しろ!
誰でもいいから結婚しろ!と言われて、
疲弊していた私に、とうとう父が、
「大根の値段も知らんようじゃ恥ずかしいけん、一人暮らしをせいっ!」と
突き放してきました。
正直、23才の頃は、早くこの家を出たいと思っていましたが、
26才になった私は、反抗する気力もなく、
家はやっぱり楽だから、
このまま居すわらせてもらおうと思っていた時だったので、
えぇっ!そうきたか・・・と意表をつかれた思いでした。
一晩考え、
自分のお給料で生活できるか、問答し、
翌日職場の就業規則を調べて、住宅手当が出ることや、
貯金残高を見直して、出来る!と判断した私は、
すぐに物件探しをして、
両親に1人暮らしを7月からしますと宣言しました。
本当にするとは思っていなかったようで、
父は動揺して、母は心配だと泣き出しましたが、
私の意志はかたく、物件も見つけたし、一緒に見に行ってほしいというと、
承諾せざる負えなかったようです。
家電製品をそろえる時に、
母が、餞別だと白物家電は揃えてくれました。
でも、炊飯ジャーは節約してお鍋で炊いてみなさい!というので、
お鍋でのご飯の炊き方を練習して、
1人暮らしがスタートしました。
スタート初日からいろいろありましたが、
自分のお給料で生活ができ、
結婚しろと言われることなく、
自由な生活が楽しかったのを覚えています。
でも、すぐに、
長く付き合った彼に去られ、
どん底の寂しさが押し寄せ、
仕事に行く以外は引きこもり生活が1年続きました。
失恋からようやく立ち直ったころ、
同期の女性も1人暮らしを始めたいというし、
私もこの寂しい部屋から早く脱出したいしで、
隣同士で暮らせる物件探しをはじめ、
街中になんだ?というような、
それはそれはおしゃれな物件をみつけ、
そそくさと引っ越しをしました。
この引っ越しが私が変われた要因でもあると思います。
やっぱり、住むところは大切ですね。
引っ越しを手伝ってくれた友人たちは、
私の失恋をものすごく心配して、
何とか頑張ってほしいと言う気持ちで手伝ってくれたようです。
あの時のご恩は、
いつかお返しできることがあるといいなと思っています。
引っ越してからは、寂しいとは思わなくなり、
どんどん外に遊びに出れだし、
新しい人間関係も築いていけるようになったころ、
今の主人と出会い、交際するようになりました。
そして、手料理を振る舞ったとき、
お鍋で炊いたご飯を美味しい美味しいとほめてくれました。
話は長くなりましたが、
「チャレンジしたことは、いつか必ず良い結果をもたらす、
だから、失敗を恐れず、些細なことからチャレンジしよう!」
という事がいいたかったのです。
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