私が毎月購読している月刊誌に、
作家の中谷彰宏さんが、書かれているコラムが、
今日は特に心に入ってきたので、
一部分を書きたいと思います。
題名「むっとすることをされても、むっとしないのが、器だ」
内容「時代劇によく「無礼モノ!」というセリフがでてきます。
このセリフは、ヒーローが使うセリフではありません。
悪役側のセリフです。
無礼なことをするのは、悪役なのに、不思議ですね。
しかも、「無礼モノ!」といきり立っているのは、
悪役側でも、上のほうではありません。
下っ端のほうです。
無礼なことをしないのが、「器が大きい」ということではありません。
無礼なことに対して、むっとしないで、
微笑んでいられるのが、器が大きいということです。
「最近、無礼な人間が多すぎる」と怒っているのは、
器が大きい人とは言えないのです。
悪役側でも、上のほうの人間は、微笑んでいます。
「器が大きい」とは、正しいとか間違っているという善悪の問題でもないのです。
「マナーがいいこと」イコール「器が大きい」ということではありません。
マナーが悪い人がいたとしても、「無礼モノ!」とキレない人が
器が大きいのです。
自分自身がマナー良くするだけでは、まだ器が大きいとは言えません。
自分が正しいと思い込むと、器が小さくなる。
・・・・・」
コラムの最初の一部です。
今日、ご紹介へのプロセスで、
私がもしされたら、むっとするだろうなということがありましたが、
ご本人は、むっとするどころか、
これからもよろしくお願いしますとの返事が返ってきました。
器の大きな方です。
まだまだ私は小さいです。。。
コラムの最後に、
「世の中に、むっとすることはなくなりません。
むっとすることに、むっとしていたら、
成長するどころか、自分自身まで、
また他の人に、むっとすることをしてしまうことになるのです。
大事なことは、むっとすることをなくすことではなく、
むっとすることを、自らの成長に生かすことです。」
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