着付け教室をしていると、
昔の女性の暮らしを深く考えることがあります。
昭和ひとケタ生まれの私の母世代は、
自分たちの着るものは、
自分たちで縫ったり、編んだりしていたそうです。
小学生の頃は、着物でわらじを履いて学校に通っていたそうです。
そんな中にも、お金持ちのお嬢様は、
洋服で靴を履いていたのがうらやましかったと話していました。
太平洋戦争がはじまって、
もんぺを履くようになったそうです。
私のところにはあちこちから、
昔の着物が集まってきます。
戦争前の着物は、
普段着の銘仙も配色がカラフルで、柄も斬新です。
ただ、炊事洗濯など家事をするために、
袖が短く、節約なのか簡素なのか、着丈なども必要最小限です。
戦争後に作られた着物は、
色柄もシックで単調です。
でも、晴れ着といわれるよそ行きの染めの着物は、
オレンジや緑や金糸や銀糸を使って華やかです。
昭和30年代の着物、40年代の着物、50年代の着物・・・現在まで流行があります。
いろいろな年代の着物に触れるのは楽しいです。
昭和30年代ぐらいまでの着物の下に着る長じゅばんは、
赤色・朱色の長じゅばんもあります。
40年代ぐらいからは、薄い色の長じゅばんしか私は見たことがありません。
日本も高度成長期、女性の社会進出が広がってくるころです。
私は女性の生理用品が進化してきたからだと考えます。
女性が男性と肩を並べて働けるようになった大きなきっかけは、
この生理用品の発達だと思います。
でも、本当は女性は生理の時、
身体を労わらないといけないのに、
労われないのは深刻な問題だとも思っています。
私の母世代は5人兄弟6人兄弟など多かったですが、
身体のしくみと着物生活が適切だったのではと思います。
着物は夏でも帯を巻くのでお腹周りの冷えはなく、
生理中は動きに制限があるので、身体を休めることができます。
現代の女性は、
洋服や生理用品が充実しているので、
楽といえば楽なのですが、
辛さを誰にも言えず休めず無理している人が多いようです。
私は女性なので、女性の辛さしかわかりません。
男性には男性の辛さがあると思いますが、
お互いに身体の仕組みの違いを理解し合うことも
仕事や夫婦生活を円満にできる大切なことのように思います。
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